異世界居酒屋「のぶ」

(ヴァージニア二等兵・蝉川夏哉/角川コミックスエース・1〜18巻)

ノーマルモードへ

Story

異世界の古都・アイテーリアの馬丁宿通りには、人々の噂に上る不思議な居酒屋がある。
異国風の店構えをし、異国風の店員が営み、カラアゲ、チクゼンンニ、オデン、ナポリタン、アンカケユドーフ、そしてトリアエズナマと見たこともない、そして絶品の料理を供するその店の名は「のぶ」。
今夜も「のぶ」では古都の人々の様々なドラマが繰り広げられる。

Impression

これを紹介している時点でもう18巻まで出ていて、テレビドラマにもなっちゃっている作品なので、今さら紹介するのもな〜、と思わないでもないんですが。
面白いんだから、仕方ない。紹介させていただきましょう。
個人的に異世界転生ものはあまりにも多く蔓延っているものでなんとなく敬して遠ざけているんですが。そしてこの作品もまた、中世ヨーロッパ風の異世界に現代日本の居酒屋をねじ込みましたッ! 現代の知識と文物を用いて野蛮な異世界で無双してやりますわッ! というだけの作品ではあるんですが。
……出てくる居酒屋料理が、まかないが、いちいち旨そうなんですわ〜。
というわけで、うっかり胃袋を掴まれてしまい、食わず嫌いの異世界モノにも関わらず貪るように読んでしまったのです。
出てくる料理はオーソドックスな居酒屋料理ばかりで意外性がないんですが、だからこそダイレクトに「旨そうッ!」「食べたいッ!」と唸ってしまいますし、それと中世風の異世界キャラを絡めることで、料理の魅力を読者に再発見させているあたりもまたニクいんですよね〜。
ひとつひとつのエピソードもオーソドックスなハートウォーミング系ですが、最後の締め方が鮮やか。
突き出しからシメのお茶漬けまでが隙のない、そんな感じの作品で、このまま居酒屋に行って「トリアエズナマ!」と叫びたくなる好作品なのです。

Shinobu Senke

ひとつにくくった長い黒髪に、明るい笑顔が印象的ないかにも「居酒屋の看板娘!」という感じの娘さん、それが本編のヒロイン・千家しのぶちゃんです。
いつもお客さんに対する笑顔と観察力に裏打ちされた細かい気配りを忘れない、気立てのいいお嬢さん。職人らしい寡黙さ、手堅さを醸し出す大将とは剛柔でいいコントラストを描きますが、それでいて同じくホールを担当するリオンティーヌのような崩れた気安さはなくて、いかにも身持ちの堅いお嬢さん、という感じがするのが好ましいですね。
それでいて職人肌すぎてどこか浮世離れした大将の手綱をしっかり締めるような頼れるシーンもみられるところがいいギャップ。訳も分からないままに異世界に放り込まれたというのにそれを感じさせない気丈さ、明るさもまた、「しのぶちゃん、ええ娘や……」と関西弁になりながら、おっちゃんをうるっとさせてしまうポイントなのです。
こういうしっかりしていて愛想のいい看板娘がいる居酒屋なら。そりゃあもう、誰だって通いつめたくなるってーもんですよね!

Character

「居酒屋大全」などの著書がある居酒屋研究家・太田和彦さんが唱える“居酒屋三原則”それは、「いい酒、いい人、いい肴」。
「のぶ」に集まる人々もまた「いい人」揃いで、だからこそ何度も通いたくなる店の雰囲気が醸し出されているのですよね。
その筆頭はもちろん大将・矢澤信之。きりりとした角刈りの、いかにも「和の料理人」という雰囲気をまとったいかにも頼れそうな、切れ味のいい包丁のような雰囲気を備えた人物で、もちろん繰り出される料理はどれも逸品。うん、こんな大将がいる居酒屋ならどんな次元であろうと通いつめちゃいますよね〜。そんなどっしりとした重鎮感すら漂わせる人物でありながら、スタッフに対しては迷いもあり、失敗もある人間臭さを曝け出しいるところもまた高ポイント。なんとも人間臭くて、それこそが居酒屋のカウンターの中に収まる資質なのだな〜と思えるのです。
素直な好漢・ハンス、小粋な色男・ニコラウス、百戦錬磨のベルトホルト中隊長の、衛兵隊3人組はこの店の常連。各自それぞれが「のぶ」をきっかけに人生の転機を迎えるわけですが、それはおいおい読んでいただくとしまして、私が気に入っているのは、ブルーカラーが仕事終わりに居酒屋で枝豆やカラアゲつまみにビールを呑んでいるその雰囲気。仕事終わり、同僚たちと今日の成果を語りながら呷るビールっておいしいよね、という昭和の居酒屋のムードがぷんぷんと薫る3人で、そのムードが「のぶ」に似合っているのです。
個人的にお気に入りなのは徴税請負人のゲーアノートさん。モノクルにオールバックという風体そのまま、融通の利かない堅物というキャラクターなのですが、そのキャラクターが「のぶ」と化学反応を起こしちゃうところが見もの。堅物でありながら、堅物がゆえに、誰も解決できないような難事を解決して見せる、そんな快傑なのです。
もうひとりのお気に入りは老助祭のエトヴィンと、トマス司祭のコンビ。居酒屋で堂々と、塩辛を肴に冷酒を呑んでる生臭坊主のエトヴィンと、清貧な学究の徒でアルコールは口にしないトマス。まるで水と油のようなコンビですが、実は見かけによらない実力を秘めたエトヴィンと、実は開明的で柔軟なトマスはともに見かけによらないいいコンビ。このふたりの、「のぶ」を離れた場所での物語なんてのも、見てみたくなってしまいます。

Official Web

2024.9